唯心論

 

唯心論という意味を知っていますか。哲学の話になりますが、デカルトという人物を1度は聞いたことはあると思います。そのデカルトは、物心二元論という精神(心)と物体(身体)を切り離し、独立した2つの実体として精神と物体を分けた考え方をしました。そして、物体は人間の意思や精神とは切り離されており物理的な結果→反作用の中で運動するため、精神が認識の範囲で成り立つ限り、人間の身体もただの物体にすぎないとも考えました。(心身二元論)

簡単にまとめると、このデカルトは精神と物体は全くの別物!と主張したのです。


そして精神とは人間とは何が確実だと証言でき、誰に何を反論されても疑えない確実な原理を探し求めたのです。

とにかく疑って疑って「この世で本当に正しいと自分が言えるものは何か」を追求しました。


わたしたちが見ている物、実際にあると思っている物はそのように見えているだけでこの世に存在しているのだろうか。この世ってなんだ?もしかして、わたしたちが精神的に作り出したものではないか。

ここにりんごがある。わたしは赤いと思う。他者にも赤いりんごが見えてる。だが他者に見えてるりんごはわたしが見ているりんごと同じ物なのか?自分が持っている概念を捨てて考える。自分が思う赤色と他者が思う赤色、もしかしたら違うかもしれない。自分が思うりんごの形も他者には違う形で見えているとも考えれる。つまり元々の認識の仕方が違うということだ。


私が見ている世界は私自身(精神)が作り出したものかもしれない。


ここでデカルトは「どんなに疑ってみても疑いのないものは疑ってるという自己。」という結論を出したのです。この世に誰にとっても公平に確実だと言い張れるものは無いけど、今全てを虚構と考え疑っている自分は必然的に存在していると。


そして、

「われわれは世界が実在すると思っているが、 ほんとうに存在するのは神様が作った観念だけで、 われわれはほんとうはそうした観念を知覚だけである」 と論じたバークリという哲学者がいます。


唯心論の対立的な言葉として唯物論という言葉があります。唯物論は存在の根拠を自然に見出してると考えます。ここに本という物体があるからわたしは本が見えている、ということです。物体が自然に実体化しているから目の前で認識できている、他者も同じように認識できていると思うのです。

唯心論は唯物論の物体という考えを精神に変えて考えるのです。ここに本という精神でわたしが作り出した物が見えている、ということです。精神で実質的に創り出されたものをわたしは認識しているのです。物質的なものはその現象ないし仮象と見なします。(形而上学)


簡単にまとめると、「世界の本質は何か」を考えた時に、全ての根源を自己の精神と考えるのです。大雑把に言うと、この世界はわたしがわたしの精神で作り出したものだ!ということです。なので、他者というのも自己の精神で作り出されたものということになります。極論を言うと、自己の精神だけが存在している世界であり、自己以外の物質(他者や物体)は自己の思考で創り出し、見えているものを認識しているということです。

 

 

わたしは幼い頃から唯心論的な考えをしていました。この世界にわたしの認識の範囲以外で物理的に存在しているものはない。わたしの精神があることで周りの人々や場所が動き、存在しているのです。反対に、わたしの認識の捉える範囲以外では何もかもが存在しない世界、消えているものだと思っていました。そして精神を握っている創造者がどこかに実在する。創造者を神と定義する人は多いですね。わたしは「絶対的な何か」と考え、その絶対的な何かが精神を司りわたしの思考だけがこの世(箱)の中で存在していると考えるのです。

 


「すべての物質的な存在を、神の心の中の産物として位置づけることができるならば、物質といういまいましいものにこだわる必要はなくなる。」こうバークリーは言いました。

つまりこの世に実在するのは心の中の世界だけなのです。個人が寝ていたり観念していない時は外界の物質は存在していないという事になるのです。

 

 

 

 

わたしはまだ哲学を深く学べていません。ですが、幼い頃からずっと不思議に思っていた考えを哲学を通して唯心論的な考えをしているということを知りました。唯物論的な考え方ができず、自分の存在が怖くなったこともあります。わたしが独我論の考えには至らなかったのは、小学生に上がるか上がらないかくらいの時から、神様がこの世界で普通の女の子として暮らせるように、わたしだけの精神が存在しているとは知らせずに法律という制度をつけ、公平に幸せに暮らせれるように、尚且つ他者に優しく人思いな人間として生きて欲しいと願ってくられたのではないかと考えました。けれど哲学を考えるととにかく病みます。分かりやすいように伝えたかったのですが結構説明端折りました。けれど奥深いものは好きです。想像して生きるって時に病むけど楽しいものです。何も考えていない人間は面白くないな〜と思ってしまいます。

でも何言えど幸せならなによりですね。